壊した物・壊れた物
今週のお題「最近壊した・壊れたもの」
最近というか2ヶ月前だが、通勤用に使っていた自転車がついにパンク
それも、ただのパンクじゃなく、後ろタイヤにヒビが入り割れて丸々交換をしなければならないレベル…🥲
仕事終わりに使った時はまだ生きていたのだが、その後買い出しに行こうとした際にタイヤのパンクが発覚。午後8時頃だった為自転車屋さんは既に閉まり、更に仕事で朝が早い為、どうしても自転車が必要で、やむなくドンキにて自転車を購入する事に…
割と気に入っていた自転車だった為直そうかとも考えたのだが、2台あっても邪魔になってしまうと思い、修理を断念することに。
やむ無く新・自転車を購入する事になってしまった。
新しい自転車を買ったが、今までの自転車を気に入っていた分、喜びよりも申し訳無さが勝りやるせない気持ちになった。
こんなに後悔するなら、少し前からタイヤのひびなどに気づいていたのだから、早いうちにメンテナンスをしておくべきだった!😭
自転車とは少し話はズレるが、スニーカー好きの友人に以前靴についてアドバイスをもらった。
自分は服や靴に少々疎いのでしばしばこの友人Kにアドバイスをもらいに行く。
NIKEエアフォースワンという靴なら作りがシンプルで大抵の服には合うという事でその靴を購入した。
履いていくと確かになんの服にでも合う感じで、凄く気に入った。
その後にも、何度かその友人に新しく良いスニーカーはないかと何度も聞いたりしていた。
ある時、自分は気に入ってたエアフォースワンをいつも通り履いてその友人に会いに行くと、「ヒデちゃん(自分)さ、買った物を好きだという割に大切にしないよね」となんともひどい事を言われた😅
いきなりなんて事を言うんだと結構ショックをうけたのだが、
よくよく話を聞くと靴がいつも汚れていて、
掃除(日頃のメンテナンス)をしていないのがまるわかりだと言われてしまった。
考えてみると目立つ汚れがついた際は掃除したりするのだが、
普段から定期的に掃除だったり手入れをしてこなかったなーと。
新しい物を買うのは好きだが、既に持っている物を長年大切に!という事はあまりしてこなかったなーと思わされ、なんだか使ってる物に対して申し訳ない気持ちになった。
この話も自転車がパンクしてから思い出したのでどうにもならないのだが、
どんな物にでも共通していえる事ですが、普段から定期的なメンテナンスが物を大切にする事に繋がるなーと考えさせられた出来事でした😓
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最近やっと夏が到来した気がします!
ここ3〜4年はコロナの影響で人の集まりは制限され、イベントなどもコロナの影響で延期又は中止。いつしかそれも当たり前になっていて、この3〜4年間何か足りない何か足りないと思っていました。
ですがそれも自分がいい歳の大人になって心が衰えてしまったから、今まで楽しめていた日常が楽しめなくなってしまったのかと勝手に納得して少しブルーになっていました。
ですが、つい最近、実に4年ぶりに花火大会が開催され、久しぶりに興奮で心が踊りだすのを覚えました。
昔、花火大会が毎年やってた時は家でパジャマ姿でテレビを付けながら、チラチラ横目で花火を見る程度でしたが、今年は『久しぶりの花火は絶対に間近で見たい』という衝動に駆られ、仕事終わりにダッシュで家に帰り、張り切ってお洒落をして速攻土手に向かって自転車を走らせました。
結局あともう少しで土手着くというところで花火大会が終わってしまい、間近で見ることは叶わなかったですが、久しぶりに夏のイベントである花火を見れてやっと心が生き返った気がしました。😄
なにか足りなかったのは、年を重ねてきたからでは無く単純に心踊るイベントに参加してなかったからなのか!とひとまず安心しました。😁
これからは夏本番になる為、お祭りも開催されると思うのでそれにも是非参加したいと思います!
イベント事ってこんなにも心を元気にしてくれるのだと知ったここ最近でした!
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私がついつい歌ってしまう鼻歌は、”明日はきっといい日になる”
高橋優さんの曲ですね
普段私は現場仕事をしていて、よく怒号が飛び交う中でしごとをしています😅
あまり覚えが良い方では無いのでよくよく怒られて凹んでしまいます
ただ凹んだまま仕事をすると、どんどんしんどくなって自分の出来ないところを自分で責めたりや、上司を悪い目で見てしまい気分はどんどん沈み仕事に行きたく無い病になったりします。😇
そんな時にこの歌の”明日はきっといい日になる”というフレーズだけを繰り返し歌って、今日は最悪な一日だけど明日こそはいい1日になるだろうと自分に言い聞かせて、1日1日を頑張って乗り切る様にしています。
この曲を知ってよかった〜
結構有名ですが、最悪な1日の後に聞くと格別ですよ〜
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私が体験した恐怖
お化けに実際に合ってしまった
ある夏の夜、いつもの職場からの帰り自転車で帰っていると
遠くの方で奇妙な動きをしているものがいました。
初めはランニングをしている人かなと思ったのですが、それにしては左右に異様なまでに揺れすぎている。
何かおかしい...
自転車で少しずつ近付いていくと更におかしな事に
人型なのはわかるのだが、頭がある位置に無いのだ...頭が どうしても頭部がない
しかもなんか大きな袋を持っている様に見える
一瞬夢でも見ているのかと自分を疑って一度自転車を止めてみたのだが、夢ではなく紛れもなく現実だった。
左右に大きく揺れながら大きな袋を持っている”それ”の向こうに自分の家がある。
どんどん変な妄想が膨らんでいく、なんか怪異にでも合ってしまったのではないか
通勤の帰りを狙っているのではないか?
心臓の鼓動がどんどん早まるのを感じるが”それ”を追い越さないと自分の家に帰る事は出来ない。
本当に心臓が爆発するのではないかと思うくらい恐怖でバクバクなっているそんな事とは関係無くどんどん自転車は近付いていく
真後ろまで来ても全く何か分からなくて恐怖は頂点に達した が ここまで来たら仕方ない正体を見るしかない!!
そう思い通りすぎ様に振り返って”それ”を見た
なんと”それ”の正体は”背中が曲がった近所のオジちゃん”だった
後ろからでは全く確認出来なかった頭がしっかりあり、大きな袋は多分普通にゴミ袋だった。
夏の夜7時頃でまだ比較的見える時間帯だったのにあそこまで正体が解らず恐怖したのは初めてで、今思い返すと面白いが当時は相当に恐怖を覚えた。
相当悪い言い方をしてしまったが、近所のオジちゃんすみません🙇
人は疲れていると相当変なみ間違えをするのだなと思いました。
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最近楽しみなことは、ズバリ 週の真ん中の”水曜日”です。
水曜日は”何もしない日”と決めていて、自分の休みの日としています。
私は決まり事を作る事が好きで、筋トレや趣味のイラストの勉強、その他の勉強をする日を曜日によってきめています。
思い通りに絵を描けるようになりたい!かっこいい体を作りたい!本を読んでみたい等
やりたい事が多い為に決まり事も次々と作ってしまい、その為毎日何かしら勉強をする日になっていました。聞こえは良さそうなのですが、毎日知らぬ間に苦行になってしまい、手段としてやっていた事が、いつの間にか目的となっていました。
大変ならやめて仕舞えばいいのですが、一度決めた事はあまり曲げたくない性分なのと
苦行を積めばいつか日の目を浴びる事ができると思い頑張って続けていました。
案の定ですが、全く楽しさが湧かず、むしろストレスが溜まり、時間は使っているのに全く頭に入らないという感じになっていました。
そんな時何かの記事で、ユダヤ人のノーベル賞についての記事を読みました。
ユダヤ人は世界人口の0.2%しかいないのにノーベル賞受賞者の割合は20パーセントに及ぶ その理由はユダヤ人の生活にあるのではないかと 一週間に一日、安息日というものがあり、国の決まりで何人たりともその日には何もしてはいけなく、ただひたすら休むだけという日があるというのです。
そうして何もせず、強制的に脳を休ませる事が脳のコンディションをよくしているとか。現代人は脳を休ませ無さすぎて脳のコンディションが良くないという記事を読みました。
その記事を読んで『これだ!』と思いました。
何かに取り組むのはいい事だと思ってひたすら取り組むように励んでいたつもりだったのですが、それにもしっかり休みが必要なのだと知りました。
しっかり脳を休ませる事がその後のコンディションをよくするということを知り、自分も真似をしようと思いました。
自分なりに週の中日にこの安息日を当てはめて、水曜日は仕事が終わった後は、極力何もしないという日にしました。
そうすることで、今まで以上にストレスを感じることが少なく、丁度週の中日なので仕事も後半頑張る気力の回復にも努められるようになりました。
もう少し、いろいろストレス発散なり、ルールをもっと優しくするなりやり方は色々あるのかなーと思ってもいるのですが、まずはこの”水曜日は何もしない”が思いのほか自分に合っていてハマったのでこれを続けて行こうと思います。
最近は水曜日の”何もしない日”が楽しみです!
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今週のお題「自由研究」
小学6年生の時に初めて自由研究をしました。
自分の学校は少し特殊で、公立の学校とは少し違った教育方針なのか一般で使う教科書とは別のものを使ったり、当時は珍しいダンスの授業を入れていたりとほんの少し特殊だった。特殊っだったが故に一般の教科書の内容をあまり知らなかったり、別の学校の友達とあまり話が合わなかったりしたりもしました。
そんな時に夏休みの宿題で自由研究が出ました。
初めは、あの有名な”自由研究”だー!!と浮かれた気分でワクワクしていて、自由〜♪とウキウキになっていました。
でも、いざ課題に取りかかろうとすると、自由って素晴らしいけど、”自由”ってつまり何でもいいけど、何かを決めないといけない!当時は自分で何かを決めるのがとてつもなく苦手だったので、必死に友達に泣きついて何をしたのか聞き回った。
ただ、みんな余裕があるのか自分が心配し過ぎなのか、聞いて回った友人たちは、誰一人手を付けてなかった。
図書館や本屋も回ったりしたが、最終的にたどり着いたのが当時使っていた理科の教科書に載っていた”紫キャベツ紙”の再現だった。紫キャベツを用いて紫キャベツの液をキッチンペーパーに染み込ませ乾燥させリトマス紙の代用として使用することができるもので リトマス試験紙と同じ要領で、酸性又は、アルカリ性の物に付着させると色が変化するというものだった。(何色になるのかは覚えてない... )
なんだかんだで、作ることに成功し、自由研究を終わらせる事が出来たのだが、夏休み終わりに提出すると先生が無くしてしまい、散々苦労をして作ったのに 挙句の果てには提出して無いのではないかと言いがかりまで付けられ、当時を思い出すと散々な自由研究だったなーと思い出した。
ただ、当時は自由という言葉に一喜一憂し、挙句散々な研究でしたが、本気で考えて本気で取り組んだ事として振り返ると良い思い出だなーと思いました。